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大正4年式の読み方

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戸籍には年代によって様々なタイプがあるのでした。↓

ここでは「3」の大正4年式について、見ていくことにしましょう。

戦前の戸籍はルールが違う

これまで見てきた平成6年式や昭和23年式と違い、
大正4年式は戦前の戸籍になります。

戦後と戦前

その中で、大正4年式と明治31年式の2つは、
家制度という当時の制度に基づいて作られています。

家制度

今とはだいぶ異なる制度であり、これまでの戸籍のルールが通用しません。
次のような特徴があります。↓

1.核家族単位ではない

戦後の戸籍は、両親と子供たちという核家族を単位に作るのが基本でした。↓
核家族

一方で当時の戸籍は、「家」というものを単位に作られており、1つの戸籍に3代4代とまたがって家族が在籍しています。↓
家

要するに、同じ家に住んでいる家族を一まとまりにしていたんですか?

そういうことではありません。それでは住民票になってしまいます。
当時も今と同じで、実際に住んでいる場所と本籍は関係ありませんでした。

「家」というのは何といえばいいでしょうか、家族が集まって作る1つの野球チームのようなものを想像してください。 当時は今よりも、1人のリーダーが他の家族を引っ張るという考え方が強く、 戸主という監督にあたる存在がいて、その下にそれぞれのメンバーがいる、という風でした。

戸主は他のメンバーの結婚に反対できたりと強い権限を持っていたわけですが、その権限の及ぶ範囲を「家」と呼び、1つのチームとして扱いました。

山田一家

大正4年式や明治31年式の戸籍は、
「チーム山田」や「チーム佐藤」のメンバー表だったのです。

2.結婚が原因で作られない

現在の制度では、子が結婚をすれば今の戸籍を出て、↓
息子が外れる

新しい戸籍を作ることになるのですが、↓
新しいもの

当時は3世代以上の家族が同じ籍に入れるので、子が結婚をしても新たな戸籍は作られません。 結婚とはどちらか(通常は女性)が、もう一方(通常は男性)のチームのメンバーになることを意味していました。

よろしく

結婚して自分の戸籍を作る夫婦は全くいなかったんですか?
新しい戸籍を作るには、戸主の許可を得て分家をするなどの必要がありました。 結婚をきっかけに分家をする夫婦はいたでしょうが、結婚によって作ったのとは少し違います。

3.戸主の交代で戸籍が作られる

当時は「戸主」という存在が定められていました。チームの監督のようなものです。
現在の制度における「筆頭者」とは違って大きな権限を持っていた、文字通りの一家の「主」でした。

リーダー

その戸主が亡くなったり、あるいは隠居をして戸主の座を退くと、新たな戸主が誕生します。
通常、後を継ぐのは長男であり、家督を継ぐとはこのことをいいます。

新リーダー

戸主の交代は大きな意味を持っていたので、このタイミングで戸籍が新たに作り直されることになります。 メンバー表を刷新しようというわけです。

新生山田一家

対照的に現在の制度では、筆頭者はただのラベルに過ぎないので、亡くなったからといって戸籍を作り替えることはなく、 亡くなったまま筆頭者を務め続けることになります。

サンプル1
転籍で始まり転籍で終わった戸籍

現在の制度との違いは他にもありますが、とりあえず上記3点を押さえておけば、何とかなりそうです。 以下サンプルを読んでいくことにしましょう。大正4年式のサンプルです。↓

大正4年式サンプルその1

一見すると昭和23年式とそう変わらない書式です。↓

注釈

実は大きな違いが1箇所あるのですが、それは後ほど見ていくことにしましょう。

大正4年式の判別方法

見てのとおり大正4年式は縦書きですが、
戸籍は平成6年式を除き、全て縦書きです。↓

横と縦

よって縦書きというだけでは、2〜5のどのタイプなのかわかりません。
判別方法を知っておきたいところです。

そこで先頭の欄の2箇所を見ます。
ここにそれぞれ「本籍」と「前戸主」という見出しがあれば、それは大正4年式です。↓

見出し

「本籍地」という見出しであれば、別のタイプです。

いつからいつまでの戸籍なのか

では読んでいきましょう。
まずはこの戸籍がいつ作られたのかを探します。

戸主の事項欄を見ます。
戸籍がいつ作られ、いつ終わりを迎えたかといったことは、ここに書かれます。↓

事項欄

戸籍がいつからいつまで使われていたかというのは、その戸籍全体に関する情報のはずですが、 それが戸主の事項欄という一個人の欄に記載される、これが昭和23年式との大きな違いです。

思い出してほしいのですが、昭和23年式では「戸籍事項欄」というその戸籍全体についてのことを書く欄と、 身分事項欄という一個人に起こったこと(出生や結婚など)を書く欄が、別々に分けられていました。↓

全体について書かれる欄

しかし大正4年式では、戸主に起きた個人的なことと、戸籍全体に起こったこととが、1つの欄にごっちゃに記載されるのです。↓

事項欄

大事なことはぜんぶ戸主の欄に書いときます。
戸主がいちばん偉いので。

といったところでしょうか。
これが大正4年式に限らず昔の戸籍の特徴であり、わかりづらいものになっています。

では読んでいくとしましょう。この戸籍がいつ作られたのかを探すのでした。
1行目です。大正5年9月1日に前戸主の父郎が亡くなり、10月1日に一郎が新たな戸主になったことが記されています。↓

家督相続

戸主が交代すれば、新たな戸籍が作られるのでした。
となれば、これがこの戸籍が作られた日を表しているように見えます。
見えますが・・しかしそう断言することはできません

なぜ断言できないんですか?

この日に一郎が戸主となったことで新しい戸籍が作られたのは確かですが、 それがこの戸籍であるとはどこにも書かれていないからです。

もしかしたらこの戸籍とは全く別の、もっと前の戸籍が作られた日を書いているだけかもしれません。

前の戸籍が作られた日をなんでここに書くんですか?

それが当時の戸籍の厄介なところで、戸籍全体についての出来事と戸主個人の出来事とが、同じ欄に書かれます。

つまりここにある大正5年10月1日というのが、 この戸籍が作られた日なのか、それともその前に起きた一郎の履歴にすぎないのか、わからないのです。

家督相続

それを判断するためには、この先を読まなければいけません。
現時点でこの大正5年10月1日という日付は、この戸籍が作られた日の候補ではありますが、まだ確定ではない保留の扱いとしておきましょう。↓

留保

次の文を読みます。
大正6年5月1日に、一郎が鈴木一美と結婚をしました。↓

婚姻届

戦後であれば、これがこの戸籍の作られた日かと疑うところです。
しかし戦前においては、結婚は戸籍を新たに作る理由ではありませんでした。 これは一郎の履歴を記載しているに過ぎないでしょう。無視して先へ進みます。

次の行です。
昭和5年3月15日に佐藤一家がひまわり県から転籍をしてきた、とあります。↓

ひまわり県から

転籍をしてきたということは、戸籍の始まりを意味しています。
ひまわり県からどこへ転籍をしたのか書かれていないのが気になりますが、ここさくら県への転籍だったのでしょうか? だとすればこの3月15日こそ、この戸籍が作られた日ということになります。

しかしまだ断言はできません。
候補として保留にしましょう。↓

新たな候補

ちなみにこの時点で、一郎が家督を継いだ大正5年9月8日は、この戸籍が作られた日付の候補から消えました。 その後にひまわり県から一家が転籍をしてきたということは、 一郎が家督を継いだのは、ひまわり県に本籍があった時か、そのさらに前ということになるからです。

いずれにしてもこのさくら県の戸籍とは無関係の出来事だったわけです。

さて次へ進みましょう。

なんとまた転籍の記述です。↓
昭和10年8月1日に佐藤一家がぼたん県から転籍をしてきた、とあります。

ぼたん県から

転籍をしてきたということは、戸籍の始まりを意味しています。
これこそがこの戸籍が作られた日なのではないでしょうか?

いずれにしても、さっき見たひまわり県からの転籍は、もう忘れてよさそうです。 もしひまわり県からここさくら県へ転籍してきたのであれば、その後にぼたん県から転籍してきたという記述があるのはおかしいからです。↓

候補から脱落

おそらく佐藤一家は昭和5年にひまわり県からぼたん県へ転籍をしたのでしょう。 それはこのさくら県の戸籍とは関係ない出来事だったのですが、戸主の履歴として記載しておきましたよ、ということだと思われます。

さて現時点では、一家がぼたん県から転籍してきたという昭和10年8月が、この戸籍が作られた日付の候補です。 ぼたん県からここさくら県へ転籍してきたとはどこにも書かれていませんが、その可能性があるからです。↓

ぼたん県から

次の文を読みます。
また転籍です。昭和15年12月1日にいちょう県へ転籍をしたとあります。↓

いちょう県へ

ここへやって来た転籍ではなく、ここから去って行った転籍ですから、すなわちこの戸籍が終わりを迎えた日、お蔵入りとなった日付です。 末尾に「全除籍」とあることからも、それがわかります。

ということは、その前のぼたん県からの転籍について記載した一文が、やはりこの戸籍の作られた日付を表していたようです。 ここまでこれが作成日の候補だったのであり、他に新たな候補もないまま全てを読み終えたのですから、確定です。↓

確定

まとめると、この戸籍は昭和10年8月1日に、一家がぼたん県からさくら県へ転籍をしてきたことで作られ、その後昭和15年12月1日にいちょう県へ転籍していったことで除籍となったことがわかりました。

このように当時の戸籍は、その戸籍に直接関係ないことまで事項欄に書かれるため、いつ作られいつお蔵入りとなったのかがわかりにくいのです。

これ以前の戸籍を取るには

佐藤一郎の出生日を見ると、明治10年4月1日とあります。
これはこの戸籍が作られた昭和10年よりだいぶ前です。↓

出生日

ということは一郎には、これ以前の戸籍がどこかに存在するということです。
どこにあるのでしょうか?

ここで思い出してほしいのは、この戸籍が転籍により作られたものであるということです。 昭和10年に、一家がぼたん県からさくら県に籍を移したことで作られたのでした。↓

ぼたん県から

であれば、一郎の直前の戸籍はぼたん町にあるのではと推測できます。
まだ推測です。断言はできません。

なぜ断言できないんですか?

もしかしたら転籍後に、一郎だけがどこか別の戸籍からここに入ってきた、 という可能性もあるからです。いわば一郎は新しいメンバーであり、一家の転籍前にはいなかったのかもしれません。 転籍後に家族が増えることは当然あります。↓

増えたかも

Point

転籍前の戸籍に家族の全員がいたとは限らない。
転籍後に家族が増えたという可能性もある。

しかし考えてみれば、一郎はこの戸籍の戸主です。
戸主は転籍の前後で変わりません。同じ人物が務めます。↓

戸主は同じ

つまり一郎は、一家の転籍前の戸籍でも戸主であったわけで、
ということはぼたん町の籍にいたということです。↓

ぼたん県から

一郎の以前の戸籍が欲しいときは、
ぼたん市の役場へ行って、↓

本籍地はぼたん町246番地、戸主の名前は佐藤一郎。
一郎の出生から昭和10年8月1日より前の謄本を、この役場にあるだけ全部ください。

という具合に指定すればいいでしょう。

サンプル2
家督相続で始まり改製で終わった戸籍

では次のサンプルです。↓

大正4年式サンプルその2

いつからいつまでの戸籍なのか

まずはこの戸籍がいつ作られたのかを探します。
戸主の事項欄を見ましょう。戸籍がいつ作られ、いつ終わりを迎えたかといったことは、ここに書かれるのでした。↓

事項欄

1行目です。大正10年6月1日に前戸主の父郎が亡くなり、7月1日に太郎が新たな戸主になったことが記されています。↓

家督相続

戸主が交代すれば、新たな戸籍が作られます。
となれば、これがこの戸籍が作られた日を表しているように見えます。
見えますが・・しかしそう断言することはできないのでした。

なぜ断言できないんでしたっけ?

この日に太郎が戸主となったことで新しい戸籍が作られたのは確かですが、 それがこの戸籍であるとはどこにも書かれていないからです。 もしかしたらこの戸籍とは全く別の、もっと前の戸籍が作られた日を書いているだけかもしれません。

それを判断するためには、この先を読む必要があります。
現時点でこの大正10年7月1日という日付は、この戸籍が作られた日の候補ではありますが、まだ確定ではない保留の扱いとしておきましょう。↓

留保

次の文を読みます。
大正12年4月1日に、太郎が田中花子と結婚をしました。↓

婚姻届

戦後であれば、これがこの戸籍の作られた日かと疑うところです。
しかし戦前においては、結婚は戸籍を新たに作る理由ではありませんでした。 これは太郎の履歴を記載しているに過ぎないでしょう。無視して先へ進みます。

次の行です。
昭和8年9月1日に山田一家がさくら町123番地へ転籍をした、とあります。↓

さくら町へ

ここへやって来た転籍ではなく、ここから去って行った転籍ですから、 この戸籍が終わりを迎えた日、お蔵入りとなった日付を表しているように見えます。

しかし違います。これは管内転籍です。
さくら県さくら市へ転籍をしていったとありますが、この戸籍もさくら市のものです。同じ市区町村内で転籍することを管内転籍というのでした。↓

管内

先頭の本籍地をよく見ると、元々の「そめい町987番地」が打ち消され、「さくら町123番地」と修正されています。 元々はそめい町が本籍だったけれど、その後さくら町に変わりました、という意味です。↓

打ち消し

このように、一家が同じ管内に転籍をした場合は新しい戸籍を作らず、それまでの戸籍を修正するだけで済ませるのでした。

つまり昭和8年9月1日は、この戸籍がお蔵入りとなった日付ではなく、内容が修正された日付というに過ぎません。 戸籍の始まりや終わりを探すにあたって、この一文は無視していいでしょう。↓

無視

ちなみに、この一文が管内転籍を表していることは、文中に「除籍」や「消除」といった言葉が見当たらない点からもうかがえます。

さて、次の文へ進みます。
昭和32年の法律によって、昭和33年4月1日にこの戸籍を改製したとあります。↓

改製

改製とはただ内容を修正することではなく、書式を改め新しい戸籍を作るという意味です。 つまり素直に読めば、昭和33年4月に新しい戸籍が作られこの戸籍がお蔵入りとなった、そう書かれているように見えます。

しかし違います。この一文は戸籍を改製したことではなく、 むしろ改製しないで放っておいたことを、どちらかといえば意味しています。

なんだかよくわかりませんが・・。

順に説明しましょう。
戦争が終わり、戸籍制度がそれまでと大きく違ったものになったため、本当であれば戦後すぐにでも、戸籍を大正4年式から昭和23年式に改める必要がありました。

しかし色々あってそれができなかったので・・↓

戦後10年間は大正4年式のままでもいいです。

と国は決めました。1回目の妥協です。

その後10年が経とうとし、そろそろ改製をしなければという時期にきたものの、やはりまだ難しいところがありました。そこで・・↓

一部の戸籍についてはそのまま使い続けてもいいです。
改製したことにしてあげます。

と2回目の妥協をしました。
これが昭和32年のことです。

さきほどの一文はこの2回目の妥協について記したものだったのです。
本当は改製してないけれど、したことにしましたよ、程度の意味です。↓

改製

そんな意味だなんて、こっちにはわかるわけないじゃないですか。

はい、予め知っていなければ意味がわからないでしょう。
「昭和参拾弐年法務省令第二十七号により○年○月○日本戸籍改製」は決まり文句として覚えてください。 大正4年式にはこの一文が頻繁に出てきます。

さて、この昭和33年4月1日に、この戸籍は改製されたことにして実際にはそのまま使われ続けたのですから、つまりお蔵入りにはならなかったのです。 ただの通過点なので、戸籍の始まりや終わりを探すにあたって、この一文は無視していいでしょう。↓

無視

次の文へ進みます。
昭和32年の法務省令がウンヌン、という先ほどと同じ記述の後に、昭和37年5月1日に新しい戸籍を作ったとあります。↓

あらたに編製

これは正真正銘の改製を表しています。
昭和37年5月1日に、昭和23年式の新しい戸籍が作られ、それによってこの大正4年式戸籍はお蔵入りとなりました、という意味です。

1つ前の文と似ているので紛らわしいですが、「あらたに戸籍を編製したため本戸籍消除」という記載があるかどうかで区別できます。 あれば本当の改製、つまり終点です。↓

よく似た2つの文

さて、戸主の事項欄を最後まで読んだことで、ようやくこの戸籍が作られた日を決定することができます。 大正10年6月の太郎の家督相続、最初に読んだこの日付が、この戸籍が作られた日だったのです。 他に作成日の候補がないまま最後まで読み終えたのですから、決まりです。↓

決定

まとめるとこの戸籍は、大正10年6月1日に、山田太郎が新たな戸主になったことで作られ、昭和37年5月1日に、様式を改めた新戸籍が作られたことでお蔵入りとなった、とわかりました。

これ以前の戸籍を取るには

山田太郎の出生日を見ると、明治25年1月1日とあります。
これはこの戸籍が作られた大正10年よりだいぶ前です。↓

出生日

ということは太郎には、これ以前の戸籍がどこかに存在するということです。
どこにあるのでしょうか?

ここで思い出して欲しいのは、この戸籍が太郎の家督相続により作られたものであるということです。↓

家督相続

新しい戸主が誕生しても本籍地は変わりません。つまり前の戸籍の本籍地もここと一緒なのです。 さくら町とそめい町の2つの名前がありますが、古い方・・後に太郎一家が管内転籍をする前のそめい町が、太郎の1つ前の戸籍の本籍地です。↓

前の本籍地

そしてその戸籍で戸主を務めていたのは、太郎の父の山田父郎のはずです。
「前戸主」とあるのですから、太郎が家督を継ぐ前は、この人物が戸主だったのです。↓

前

これで本籍地と戸主という2つの情報がそろいました。
太郎の以前の戸籍が欲しいときは、さくら市の役場へ行って、↓

本籍地はそめい町987番地、戸主の名前は山田父郎。
太郎の出生から大正10年6月1日より前の謄本を、この役場にあるだけ全部ください。

という具合に指定すればいいでしょう。

続いて太郎の妻、花子の1つ前の戸籍も調べておきましょう。
出生日を見ると、明治30年10月1日とあります。
これはこの戸籍が作られた大正10年よりだいぶ前です。↓

出生日

ということは花子には、これ以前の戸籍がどこかに存在するということです。
どこにあるのでしょうか?

この戸籍は太郎が父郎から家督を相続したことで作られたのでした。
となれば花子は太郎と一緒に、父郎の時代の戸籍にいたのでは、との推測ができます。

前からいた

しかしもしかしたら花子は、太郎が家督を継いだ後に山田家に入ってきた新メンバーであり、父郎時代の山田家にはいなかったのかもしれません。↓

前はいなかった

そこで花子の事項欄を見ると、大正12年4月1日に太郎と結婚をしたとあります。 これは太郎が家督を継ぐ大正10年より後のことです。↓

婚姻日

つまり花子は、太郎が家督を継ぐ前の山田家にはいなかったのです。

花子の直前の戸籍は、花子が大正12年に太郎と結婚する前に入っていた戸籍であり、 それはすみれ町789番地にあること、そして戸主は田中父義であること、が事項欄からわかります。↓

前の情報

花子の以前の戸籍が欲しいときは、
すみれ市の役場へ行って、↓

本籍地はすみれ町789番地、戸主の名前は田中父義。
花子の出生から大正12年4月1日より前の謄本を、この役場にあるだけ全部ください。

という具合に指定すればいいでしょう。

次のページでは、残りの2つ、
明治31年式と明治19年式について、かなりざっとですが、見ていくことにします。

【次のページ】  » 6. 明治の戸籍

【目次】 戸籍の読み方

  1. 1. 戸籍の基本
  2. 2. 平成6年式
  3. 3. 平成6年式その2
  4. 4. 昭和23年式
  5. 5. 大正4年式  ←Now
  6. 6. 明治の戸籍

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